奄美諸島道の島・その歴史は、日本の歴史に大きな影響。

大航海時代

大航海時代

大航海時代(地理上の発見の時代)の考察  15~16世紀
私たちが学んだ世界史は、何ゆえ西欧を中心に学ばせられたのだろう。ひとつには、戦後政策によるものと考えられる。また、東アジアの歴史を記した物がどのように扱われていたかという問題がある。書き言葉の歴史についても考察すべきであろう。
15世紀までのヨーロッパの交易は、地中海をめぐるイスラムやヴェネツィア商人を中心にしたものであった。彼らの交易品の貴重なもののひとつが香辛料であった。 →香辛料
 地中海の西端の国々においては、さらに貴重な品物であったはずで、豊饒な土地を持たない彼らが植民地と新たな交易ルートを求めて大航海に出たのも不思議ではなかった。
 ヴェネツィアの香料価格は、インド出荷価格の、25倍になったという。輸送費が莫大にかかるからである。元とオスマントルコによって破壊された古くからの陸路に変り、13〜16世紀の間イスラム商人が切り開いた海路で運ばれた香辛料を地中海航路を支配していたヴェネツィア商人がヨーロッパへの貿易を独占。
ポルトガルが、アフリカ大陸南端を回ってインドを目指し、後れを取ったスペインは太平洋が存在しない前提で西回りを目指し東南アジアの香辛料の争奪戦を行ったのが大航海時代である。
 彼らは、それまでのイスラム商人などと違い、植民地を奪い取ること、争奪戦に勝利することを大前提としていたため、船の改良、強化に世界中で最も力を注いだといえる。
 ポルトガル、スペインの国王は、後に親戚関係となり
 これが、彼らが日本に近づいて来たころであり、長崎出島の交易相手がオランダにとって変られる頃である。このタイミングは日本にとっては幸いであったといえる。→明国出兵
 スペインが植民地としたネーデルランド後のオランダにいたっては、開発済みの植民地を戦いとること、積荷を横取りする海賊行為を認めていたのである。
 スペインは、ネーデルランドの反乱から衰退して行く。そして最強艦隊の座をイギリス艦隊との戦いで奪われる。

1494トルデシリャス条約:ポルトガルとスペインがアフリカ航路とアメリカ新大陸の発見により海外へ進出を目指し大西洋で利害が衝突したため、ローマ教皇に仲裁を仰ぎ利害調整を行った条約。西アフリカ沖に北南極を結ぶ線で分けてその西側に発見する土地をスペイン領、東側に発見する土地をポルトガル領とした。

この頃プロテスタントの勢力が増してきたため、ローマ教皇は、これに対抗するために新しく発見した土地での布教と経済的負担を両国の国王に義務付ける代わりとして植民地化と貿易の独占の権限を両国王に与えた。

これが大航海時代の大きな推進力となったのである。

アジア進出の頃には、明国の力が衰退し侵攻し易かったと考えられている。
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