奄美諸島道の島・その歴史は、日本の歴史に大きな影響。

古代妄想学会

2010.
先日、赤木名城について現地で学ぶ会がありまして、参加してまいりました。
要するに、琉球が栄える以前に奄美を中心に栄えた時代があったようです。中でもこの地は、重要な場所だったと考えられている。この湾の入り口の両岬の山頂、今井崎や蒲生崎にも山城跡が見つかってるそうで笠利湾は、いくつもの城が取り囲むようにして存在していたと言うことになる。つまり城の津である。津城である。赤木名城の頂上からは、太平洋の一部が見える。あの辺にも見張り台があって、狼煙で連絡が取れる様になっていたのではないか。すると、海底から中国との交易の途中と考えられる沈没船が見つかったもうひとつの重要な湊と考えられる焼内湾もまた、狼煙で繋がっていたかもしれない。つまり風によって、あるいは、北上・南下によって使い分けられていたとも考えられるのである。さらに、赤木名城の調査では、弥生時代まで遡る遺跡が見つかっている。この山すそには、今でも岩の間から湧き出る水がある。縄文海進でも利用できたはず。
ますます古代妄想は面白くなってきました。素人が集まった学会ができそうである。真実が分かるとがっかりしたりするのでこれを古代妄想ガッカイと呼ぶことにしよう。

こうして日本古代妄想学会はできました。
全国の支部を募集します。会長は、古代妄想家の高井直人です。
よろしくお願いします。

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