奄美諸島道の島・その歴史は、日本の歴史に大きな影響。

紀元前の世界

紀元前の世界

  人類の移動経路 西から来た
約440万年前の女性 「アルディ」全身骨格 エチオピア

20世紀の初めまで、「脳の大型化こそ人類進化の原動力」と考えられていた。が、その後の化石の発見などで、「二足歩行が進化し、脳の大型化は後で進んだ。」ことが明かになった。樹上から地上へ生活の拠点が移り始めた人たちの(二足歩行への進化途上の)全身骨格が発見された。

400万年前 人類の祖先といわれる「ルーシー」は、

アフリカのエチオピアで発見された。直立二足歩行を特徴とする人類は、猿人・原人・旧人・新人と進化した
150万年〜 北京原人
100万年  ヨーロッパ・ハイデルベルク人
20万年前 ジャワ原人

DNA研究でアフリカにいた一人の女性(イブと命名)を現代人の祖先とする説がある DNA研究は人類の移動経路を考古学同様の経路とした

12万年前頃 島根県出雲市多伎町の砂原遺跡 国内最古の石器発見

10万年〜 新人(現代人) クロマニョン人、

周口店上洞人動物の骨や角の道具を使うようになりそのうち石を割った石器を使うようになる(石器時代)
4万年前 日本人の祖先が日本に渡ってきた   

朝鮮半島経由と中国南部から「道の島」経由

日本は、大陸とつながっていた。奄美と徳之島の間は、河口で舟が必要だったはずである。

4万年前 氷の橋となっていたベーリング海峡を越えて北アメカ大陸へ

渡った  南米最南端到達

32000~26000年前と推定される亜麻糸 グルジアの洞窟から発見された。

25000年前 ネアンデルタール人絶滅 原因不明 
集団虐殺されたと思われる遺跡が発見される。その後クロマニヨン人栄える

2万年前 沖縄 港川人

18000 〜 世界最古の土器発見 中国湖南省

15000年前 最も原始的なヒトツブコムギの栽培始まる
   

縄文時代BC11000〜BC1000 弥生時代BC1000〜AD300 

縄文時代と弥生時代は、暫く重なる区分の仕方がある
12,900年前北米、南米、ヨーロッパ、中央アジアにかけて彗星の隕石が落ちてきたとされる。北米の5大湖付近、サンフランシスコ付近など、多くの生き物が死ぬ。

11,000年前 トルコに集団定住あと発見 農耕が始まる前で、農耕が始まって定住したとされる定説が疑問視されている。(2013)

10,000年〜 氷河期が終わる

8,000年前 人類は、南米大陸南端まで南下

5,000年前 エジプト、メソポタミア、黄河文明 アイルランド巨石文明
(BC3000)  紀元前3000〜4000年頃にかけてエジプトのナイル川に

川舟が登場し上流と下流を結んでいる。

これは、この地域でほぼ一年中、河口から川上に向けて風が吹いている気象条件によって、上流に向けて帆走し、下流に向けて川の流れに乗って下ることを容易に想い付いたとされる。

メソポタミアにおいても紀元前4000年頃に帆掛け舟が登場した

4300年前 インダス文明   日本では中期縄文時代
(BC2300) インダスは、都市計画が行われていた メソポタミアと交易

3700年前 殷王朝おこる 甲骨文字
(BC1700)
3500年前 マヤ文明

台湾、フィリピンからパラオ、タヒチ、ハワイへDNA言語が伝わったという説
(BC1500) 
3200年前 鉄器時代始まる。

トルコ中央部、ヒッタイト遺跡からそれ以前の鉄器発見

紀元前2000〜 350年頃にかけて貿易商人で名高いフェニキア人が

デッキ付きの大型帆船でデッキの下に積荷を満載し地中海一帯を交易していたことが分かっている。

ヘロドトスいわく前7世紀(604)にアフリカ大陸を一周している。

現シリアは、船材となる森林が広がっていた

BC1500頃のエジプト・ハトシェプスト女王は金、黒檀、象牙、サル、猟犬などを求めて現在のソマリア地方まで大型商船隊を遠征させる。また、350tのオベリスクを運ぶ巨大な船を造った。採石場へ曳航するのに総勢1000人を要した。

B.C.1250 ~ B.C.1100  大干ばつの連続があった形跡発見。
B.C.1185 ~ B.C.1130 地中海沿岸の文明崩壊 原因不明だった。
大干ばつが、住民の移動、都市と都市の争い、交易船の略奪などを招き都市の衰退、崩壊、交易システムの崩壊を招く。いわゆる海の民による海賊行為頻発。

3000年前 日本 稲作が伝わる

中国南部からの説 朝鮮半島経由・道の島経由・シナ海渡航九州説

南インド説 日本語の源流タミル語説
縄文時代に、西日本にポリネシア語族が来た形跡 
ポリネシア語地域に神話の共通点
南インドタミル人が道の島を経由せず北九州、朝鮮半島へ 「ヤマトコトバ族」の祖

真珠などの貴重品を求めてきた 弥生中期の土器に帆と36本の櫓で漕ぐ船が描かれている 日本は、「玉」の産地だった

マダガスカル島の言語とインドネシア語は同系とされるポリネシア語族はすなわち広大なポリネシアを船で行き来した証である

海幸彦山幸彦神話では、弟は神の案内で海神の宮へ行き歓迎され結婚し、釣針と玉をもらい兄を懲らしめる方法を授かる

兄は、隼人として使える

霧島へ天孫降臨(ニニギノミコト)笠沙の岬でコノハナサクヤヒメを妻にする 。

その子が海幸彦(兄)・山幸彦(弟) 縄文人(先にきた住民、狩猟採取)と弥生人か?

海人(あま)は、呉の沿岸地方 の人々

奄美のニニギノミコト北上伝承
                             

テルコ・ナルコ(ニライ・カナイ)からアガレヒヌハルカナが稲を盗んできた(瀬戸内町の説話)

BC556 釈迦 仏教おこす

BC480 サラミスの海戦 

ギリシア 310隻 対 ペルシヤ 1207隻 漕ぎ手が三段になった船で激突戦法であった。また地中海で既に海賊が出没した。

BC327 アレキサンダー大王 東方大遠征 

洋の東西、互いに文明を認識

BC268 エジプト、ナイル河と紅海の間に運河開通

BC221 秦の始皇帝、中国統一 大陸に割拠していた六王国を征服。それらの王制や社会の仕組みを一掃。中央集権の官僚組織による法に基く統治を行う。刑罰、徴収、強制・・。王の上に地上唯一の絶対権力者を作り皇帝と自ら名乗った。自らを史上初めて「朕」と呼んだ。満天の星の中心である北極星と自らを重ね都の有り様も星の位置になぞらえて造らせた。中華思想の始まりである。この時代の六国の中心すなわち中原を制しながら西端の秦発祥の地域を世界の中心としたのである。この発想こそ前代未聞だったのである。また世界の隅々に不老長寿の薬を探させた。
すると日本が取り込んだ社会の仕組みの根源は、始皇帝にあったとも言える。未だに税の徴収や使い方に議論が尽きない。科学技術を除けば人類は大して進歩していないことを前提に歴史を見たほうが良いと思われる。
〜206 日本に徐福が多くの臣下を連れてきた伝承。

子安貝は、日本のみならずエジプト王墓、スキタイ古墳、中国の墳墓からも発掘され世界共通の宝だった

BC180 前漢の武帝 海運を組織 広東の港が繁栄

漢代末期 舵と錨を備えた洋船存在 広州で模型出土

この頃 インド、海上貿易で繁栄 香料などを西アジア、ローマ等に輸出

東南アジアの南海航路にむすびニンポウ、杭州に至るのは、季節風を利用したインド航海者には時間の問題であった

南海貿易は、中国と東南アジア、南アジアとの間の海上貿易である。紀元前2世紀頃から始まったものと見られる。

BC100頃ローマの軍船「ガレー船」は、

300人のこぎ手と120人の兵が乗るほどの大きさであった。

紀元0年頃 古代ローマは、エジプトを支配したとき、その貿易路も継承し南インドにいくつかの拠点を築き1世紀には、絹を求めて中国に達していた。

この2本マストのコルビタ船は、最も大きいもので1000tの荷をインドまで運ぶことができ た。インド洋沿岸の中継基地を往来しペルシヤ、インド、セイロンの商人が中国を訪れていた。

陸のシルクロードは、戦争で中断されたりしたが海の道「海のシルクロード」は、ずっと続いていた。

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