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はじめまして
ようこそ! 奄美道の島の歴史へ
古代文明の時代から西のローマと東の漢の時代へと変り東西が繋がりそして、スペイン、ポルトガルが世界の富を独占した時代背景、追ってオランダ、イギリスがそれに取って替わった原動力、産業革命を経て、帝国主義のヨーロッパ世界、ソビエトの領土拡大、後から誕生したアメリカが強力になり世界進出していく、そのような歴史を俯瞰し、時代背景を見ると日本の果たしてきた役割が見える。
2009年に
奄美パークで、皆既日食にあわせ多くの人に見てもらえるようパネル展示しました。
奄美諸島の歴史を考えるとき、あるいは、島人のアイデンティティを考えるとき、「道の島」の生い立ちをたどってみる必要があります。そこで、「道の島」に関係すると思われる出来事を列挙してみました。
歴史の捉え方、興味を感じる部分は、人それぞれです。好きなところから始めて、各地に残る伝承や史跡を訪ねたり、あるいは、自説の時間の旅で行間を埋める作業をお楽しみ頂きたいと思います。
これを機に埋もれた資料を持ち寄ることができれば専門家の研究に寄与します。文化を軸にした街造りが始まっています。子々孫々に遺せる歴史都市へのスタートといえます。
「道の島パネル展」を道の島々でリレー開催できれば、さらに多くの発見や気付きを生み、私達の歴史が身近に見えてくることでしょう。「発掘された宝」が次々と増え都へ届けられたとき島々の歴史を多くの人に理解してもらえると思います。
本イベントは、調査研究の発表ではなく、むしろ全員参加の文化財発掘調査のスタートです。「話し言葉文化の文化編年を島人自ら行うこと」とも言えます。ご遠慮なくこの草の根活動にご参加くださいますようお願いいたします。
私の場合、「海人の視点から海上交通はどれほどの装備、技量で成し得ていたのか」という視点から始まりました。勉強不足が原因なのですが、しかし、歴史の出来事に交通手段についても同時に語られているものは、少ない。
陸上で物を運ぶには、道路が整備されなければならず相当規模の労力を要し、そのためには巨大な権力が存在しなければならない。つまり、少なくとも山の多い奄美では、海上交通、海上輸送の方が容易であった。個人、集落レベルで船を建造するほうが容易だったはずである。奄美以外でも同様と考える。
すると、調べるほどに想像を超えて、モンスーン気候の安定的な季節風を利用して古代よりローマと唐を結び盛んに交易が行われていたのである。
またエジプトのナイル川の流れと年中吹く海風を利用した船での石材等の輸送が帆船の起源と知り頷くばかりである。
沿岸航行が可能な大陸においては、海上交通の発展は、当然だったかもしれない。
道の島を考えるに、昭和30年代くらいまでは、集落から集落へ小荷物を持って歩くことが当たり前で、さらに山越えの陸行が如何に大変だったかということと大小の船が活躍していたことを生活感覚で認識しなければ「海が道」という目が曇る。
50歳以下には、そのイメージは既に無いものと思われます。そこで、そのような昔の生活を忍ばせる写真も展示します。
祖先の昔語りを思い出し、また、地域に残る伝承を発見するつもりで気軽に資料提供に参画して頂ければ幸いです。
文明と交易そして船の歴史
道の島と周辺国の歴史年表
左のメニューから各時代へ押すすみください。
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